妻を女として見れない
既婚男性の多くは私と同様、自分の妻を女として見れなくて当然かもしれませんね。
ただ、その理由として子供が産まれてからは、「お父さん」「お母さん」と呼び合ううちに、本来は他人でありながら夫婦も家族になってしまい、もはや性欲の対象でなくなったりするような気もします。
ところが、私の場合はそうしたプロセスを経て、妻を女として見られなくなったわけではないのです。
説明は難しいのですが、初夜から妻に女性としての興味を持ったことが一度もないんです。
では、そもそもなんで結婚などしたのかと問われそうですが、他に選択肢がなかったからとしか言いようがありません。
性欲を満たすには不倫しかなくなった
最初から妻を女性として見れなかったわけですが、それでも若さに任せて性行為は問題なく出来ていました。
ところが、40代に入ると、同い年の妻にせかされても、成立しないことが増え出しました。
いつしか妻もあきらめ、「年なんだから」と言ってくれるようになりました。
ところが私はと言えば、むしろ性欲が増すことはあれ、女性に魅力を感じなくなる状態では決してなく、道行く女性の肢体を見ては、妄想を膨らませたりする始末でした。
そうこうしているとき、いつもの散歩道でのこと、傍らを通り過ぎた自転車に乗った女性が100メートルほど先に行くと折り返し、私の方に戻って来たのです。
その時はそれだけのことで、何とも思いませんでした。
ところが、2週間ほどして今度は、その女性がジョギング姿で体をぶつけるくらいに接近しては、走り過ぎて行き、歩くより少し早い程度のスピードで私の前で尻を振るわけです。
不倫で性欲を満たそうとしている男の前で誘っていることは明らかです。
据え膳食わぬは男の恥
相手の女性は年のころ40代前半、見るからに家庭の主婦をしてそうな地味な感じの目立たない女性でした。
しかし、無駄な肉の付いていないスリムな妻とは異なりふくよかな体形は、出るところが出ていて肉感たっぷり。
性欲を満たしたい私は、難しいことは考えずに、恋愛感情もなくただ、妻とではできなくなった性交を夢想して、声をかけました。
奥手な学生時代に母から、据え膳食わぬは男の恥だと教えられていた私は、不倫にためらいはありませんでした。
一度はEDのようになりながらも、格好の不倫相手を見つけて、W不倫という社会的通念からは許され難い関係性を持つにいたりましたが、同時に生きる張り合いを取り戻した喜びは、何物にも代えがたいものがあります。
不倫は今も続けていますが、生きているってこういうことなんだなと、思わずにいられない充実感に満ちています。
男女関係は生活に張りを与えてくれます。
ここに入らずして一生を終えるほどの不幸はないと思っています。